世界的な場で巨大な規模の街づくりを実践してきた私だからできること
私は中国やインドや韓国の大規模開発を手掛ける中で「役人任せにはできない 自分たちでこの国を作っていくんだ」という気概を感じてきました。
多くの場合 設計者はまず周辺の与条件を固めようとしてしまう。そしてその与えられた条件の中から最適解を見つけ出すことを仕事とする。
でも いろいろな国や地域で仕事をし いろいろな条件の発注者と仕事をしていると
1)与えられた条件というのは必ずしも誰かが考え抜いた必然的なものなのではなく どちらかといえば成り行きで決められ それに従うことが必ずしも街づくりという立場から見て最適のものでも何でもない ところが人はそんな与条件を見て安心しそれにしがみつこうとしてしまう。
これはあまり根拠はない過去に自ら進んで縛られていく態度となる。
2)真に自分で あるいは自分たちで しっかりした未来を創ろうとする人たちは 与条件のあいまいさを見抜き それを超える動きを探し出したいと思っている 与条件を疑うことは 非効率であったり不確実であったり 自ら手間をしょい込む動きであるけれど それを避けていてはクライアントからは ああこの人は手間を省きたいのだ と見抜かれてしまう。
そもそも私の理解する街というのは多数の異なる建物が集まってできる一連のもの。異なったものの集まりで それが空間的にいくつかの物体に分かれている(間に外部空間がある)ことが必要。例えば巨大な建物をさして「これは一つの街のようなもの」という言い方をすることがあるが(私もそう言っていたことがあるが)これは間違い。
単なる巨大建築物は街にはなりえない。一方小さな家々がいくつか道を挟んで建っているとそこには街の兆しができてくる。そんな時にできる共有空間としての街路やキャンパスなどをいかに街として高めるかが最も重要な街設計者の役割だと思う。
ここで「私は道を作る」「あなたは家を作る」と切り分けてしまうと そこから街は単なる切り分けの寄せ集めになる。
それをしたくなる欲望に耐え きめ細かく内と外と道のつながりを育てていくのがいい街を創るのだと思っている。
例を挙げると 道を挟んで建つ家同士の関係 庭の作り方や車の置き方がお互いに相手の様子を踏まえたものであることによって 道自体の風景が一気にしっとりとしたものになってくる。