WAMP 私たちの明日の街づくりプロジェクト 設計 WAMP設計チーム 構想期間2022年~2024年

作画 湯浅 禎也

WAMP 私たちの明日の街づくりプロジェクト 設計 WAMP設計チーム 構想期間2022年~2024年

 

私たちの明日への街づくりプロジェクト(WAMP)
いろんな国や地域で施設づくり 街づくりをしてきたけれど 自分の足元の街についてはしっかり見ていなかったと気づき 若松台2丁府営住宅地活用計画について 地元住民の立場から ニュータウンのあってほしい姿(緑道と気楽に立ち寄れるレストランが身近にあってほしい 多世代が交流しながら暮らせる街になって欲しい など)と そのために今なされるべき具体的な街づくりについて考え 提案し実行しようとした計画。最終的に敷地条件の課題のために実行を断念。

プロジェクト発足の背景●小商業を街の絆づくりに活用(七つ星)
どこを通っても同じに見える二ュータウンの茫漠とした無個性さ。これを脱却するために、住宅街の主街路に沿って景観的に調和のとれた、でも一つ一つが独立的に表情を持つ個店を並べ「住んでおいしい街づくり」を実践します。各個店は地元住民など有志の出資で建設し、出店者は個性と街の温かみを作る店づくりをします。国道沿いのチェーンレストラン群では作り出せない 緑に調和する人間スケールの個性的な賑わいが生まれます。

●コーポラティブ型戸建て住宅群(さくらみち)
コーポラティブハウス方式で まず計画の趣旨に賛同しここに住もうという人々に集まってもらいます。共有する道路や緑そして景観を大切にしながら一つ一つの家いえを設計していきます。全体の街並みとしての調和・品格を保ちながら 各々の住民の個性・世帯の在り方・生活スタイルが反映された豊かな街並みができ上がります。

●住民が自力で連携的に街づくり
一般的には街が開発される時、周辺地域住民とは離れたところで計画が進み 一方新しく入居する人々も住居が出来上がってからお互い顔を合わせるだけ。お互いが疎遠な関係から生活が始まります。
これとは違って本計画ではコミュニティーの連携の豊かさこそが街の生活の豊かさの基礎だととらえます。新しくここに住もうという人々は自分たちの住まい方、周囲との連携を議論しコミュニティーを形成していきます。 生活に豊かさを生み出すお店作りには周辺住民の有志が出資者としてコミュニティーに参画します。そんな新しい街づくりの枠組みを創出したいと考えています。

初めてその敷地に立った時
いつも公園への散歩の途中で通りがかる敷地。見慣れた光景だが これを自分の計画の敷地だととらえると見方が全く変わってくる。ここにどんな風景ができたときに 若松台の街がもっと生き生き見えてくるのかを考えようと決心した
デザインの変遷と最終結果びっくりドンキーやサイゼリアではなく 小さなおいしいレストランが街にあったらいいのにという話は 何人かの住民の間でよく出ていた。が実際の商業施設の開発の状況(事業者の思考やシェフの思い 建材状況)を調べていくと 今の世の中で小さなおいしい独立店を作り運営していくのはそれだけで大きな挑戦。だからと言ってスーパーの横に並んだテナント店はわざわざ作り出そうという意欲の湧く風景ではない。近隣センターはどんどんすたれているし。と考えをめぐらしながら しっかり作られた戸建て住宅の街並みと 道路に面しては個性ある店が並ぶという構成にたどり着いた。これを事業面でどう実現性のある形にしていくかが検討の大きな課題だった

設計過程の議論の中で

検討にあたって 借地であることの有利な条件は土地代の負担が少ないこと したがって無理に小さな敷地にぎりぎりの家を突っ込むという必要はなく ゆったりした敷地に平屋で建てるという方式を提案の主体とした。(その当時は平屋が珍しかったが今はずいぶん一般的な憧れになっている)

設計中の困難

敷地は府営住宅の跡地活用という枠組みだったので当初は敷地は売却されると想定していた 大地主が全体をまとめて買うのがいいのか 住宅デベロッパーが分譲する想定がいいのかなどと方向を探っていたが 結局 売却ではなう定期借地ということになった。店舗をする側は借りて収益を出せればそれでいい。土地を買うための資金投入が不要になる分身軽になる。ところが住宅を建てて住もうとするほうは自分の家は財産ととらえるので 50年後の返却というのは たとえ当初の資金が少なくて済んだとしても納得いかない。ということで 計画内容には大変魅力を感じるが 定期借地が呑み込めないという住宅希望者が多く プロジェクト参加者が定数に満たず 参加を断念した

設計裏話

検討の段階で説明会を開いたり 多くの住民や地域県警者の方々と話して 共同住宅の組合のあるかたや家づくりに関する様々な条件、住まう人々の気持ちなどを勉強することができた。計画は断念したものの その経験は後に残るものであった