大阪の港湾エリアに建設され、展示・商業を中心とした大規模複合施設。
鮮やかな色と活気に満ちた形態を採用し、水に沿って地域を公園化し、特徴的な都市景観の構築に大きく貢献した。
| 受賞 | 国土交通省 都市景観大賞 大阪都市景観建築賞 グッドデザイン賞 |
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| プロジェクト発足の背景 | 日米貿易摩擦が大変激しかった時代に 米国ではなくアジアに目を向けて貿易拡大を図っていこうという理念のもと 〇大阪の卸売産業を発展させることと 〇南北軸で発展している大阪市全体の新しい都市的成長に東西軸を生み出すこと が目指され 広大な空地を持つ南港地区が着目され 類を見ないスケールの巨大卸売市場としてATCが企画された。 長大な岸壁を活かしたアメニティー商業空間や展示場を併設することで 港湾地域に対する市民の親近感を創り出すことも目指された。 |
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| 初めてその敷地に立った時 | とにかく広大な岸壁で周辺には何もない。このような空白地帯にどのようにしたら人が来るようになるのかを考えることが重要課題だった。ただその当時はバブルの時代でありものを創れば人が集まるという楽観的な見方が支配的だった。大きさを恐れずに むしろ大きいことをおおらかに楽しめるようなものを創ろうと考えた。 |
| デザインの変遷と最終結果 | 港湾施設の岸壁はもともとは船がよりついて荷下ろしや乗船行為が行われるという想定で建設された場所なのでのは大きな使用上の規定がある。水際から10m以内は「岸壁」と呼ばれて 建物を建てることはできない領域 その後ろ40mは「後背地」と呼ばれて荷捌きの車両などが集積する想定。それを全く新たな岸壁公園として使っていこうというのだから大変な挑戦だった。 350mの岸壁をどうしたら行って楽しい空間にできるかと考えながら殺伐とした岸壁を歩き回って気づいたのだが 岸壁は水に向かって進んでいくより 水に沿って沿って歩くほうが楽しい。 内陸側から50m進んでいくのは景色に変化がなくて「遠い」感じがするけれど 水辺に平行に350m歩くと 景色に変化があり しかも水面からの近しさを感じる。 水辺の公園は 水に向かって歩かせようとするのではなく 水に平行に何層もの動線を作っていくという方向を見出した。卸売りの中心施設となるITM棟はとにかく平面的に大きいので 中央に大きな吹き抜けを抱えて全体を2つにわけることで 巨大な平面の中にうずもれるのではなく 大きな建物の「中にいる」ことが感じられるようにしようとした。またその大きな吹き抜けが岸壁公園からも感じられるように岸壁に向かって全体を貫くような形をとった。 |
設計中の困難 | 設計していた1980年代末は 現在の2020年代のように一般の人々がAMAZONで直接取引をするなどとは誰も想像もしない時代である。卸売りという世界は確固として存在していた。一番難しかったのは「卸売センターとは何か」どんな人が来てどう使うのかを認識することだった。一例をあげると 卸売に仕入れに来るバイヤーは商店主なので 休日は自分たちの店で商売し 仕入れに来るのは休日が終わった後の日。それは一般の商業施設とは真逆の動きとなる。そんな商売の動きを理解しながらどんな物流が起こるのか それがどう変わっていくかなどをクライアント側と検討を進めた。 今振り返ると 卸売という概念そのものが溶けてしまった。 こんな大変動が起こるなかで 時代に合わせて建物を作るということがそもそも可能なのか むしろ建物として生き残るためには 建物と用途を一体視せず 時代の変化とともに用途がとんでもなく変遷していくことを許容しうるものを作るのがいいのではないかと考えている。建物を何百年も使い続けるヨーロッパでは 最初は病院で建てられ その後事務所として使われ 今は大学の校舎になっているという大変立派な石造りの建物(グラナダ大学本部:スペイン)や刑務所がホテルになっているものもある。 |
プロジェクト期間中の『最大のピンチ』と突破 | 建物は巨大で工事費は大きいが贅沢をすべき建物ではない。一つ一つの場所を倹約しながら全体として楽しみをもたらせる建物に作り上げていくというのが大きな目標で 巨大ゆえのコストコントロールの複雑を乗り越えることが課題だった。上等な材料は使えないけれど 色だったら 何色でも値段は同じと考えて 色遣いによる空間デザインを進めることにした。吹き抜けやゆったりした廊下など豊かな空間と相まって建物の特徴を形作っていった。 |
設計裏話 | 設計にあたってパートナーとなった アメリカのEDAW(岸壁公園のランドスケープ設計担当)とSTUDIOS(ITM棟のアトリウム内装設計担当)について この設計着手当時は 日本経済が最も華やかに世界進出していた時の末期で Japan as No1といわれ 日本の企業が米国の中心地を買い取ったり と 日米貿易摩擦が大きく政治課題になっていた。そこで日本政府は 公共事業などに対して海外の事業者に参入機会を与えることを認め 建設事業についてもその方針を貫くことにして 大規模な事業については国際的なコンペや国際入札を行うことになっていた。関西国際空港はその政策の一端で国際設計コンペで海外設計者が基本設計を行うことになった。そんな社会環境の中で ATCについても設計プロポーザルが行われ日建設計が選ばれたものの 何とか国際的な設計体制を作れないかとの要請があった。 もともと巨大で複雑な建物なので事情のよく分からない同士が共同する体制はプロジェクト自体を危険にさらすと危惧したが だからと言ってどうせ参画してもらうなら名前だけの参加ではなく本気で共同作業をする体制としたいしそれができる相手と組みたいと考えて まず参画の範囲を外構と内装設計ということに決め(これなら主要な事業に重大な危険は起こりにくいし 相手も自由度高く設計できる)世界中のこれと思える設計者にコンタクトし 香港やカリフォルニアに飛んで実際の設計事例を見ながらインタビューを行った。設計者がパートナーとなる設計者を選ぶのだから 迷いもあり戸惑いもある作業だった。その当時はコラボレーションなどという言葉も流布しておらず 海外の設計者に関する情報も入手がむずかしい状況で まして日建設計はもともと組織事務所として自分たちの組織の中で一式の仕事を完結させることをよしとしてきた流れになかで手探りでの相手探しだった。結果として選んだEDAWとSTUDIOSは 共同し始めてみると大変想像力が高くまたこちらの状況をよく理解して柔軟に設計を変更して進展させてくれるなど 共同するということの楽しさを学ばせてくれるものとなった。どこかからの紹介でもなく 有名であったからでもなく(今は有名になっているけれど)純粋に共同者として一緒にやれるかという視点で選び またそれにこたえて彼らが創り出そうとしているものをこちらが自分たちのためにやってくれているのだと受け止めて全力で支援しようとした(法的解釈やコストコントロールなど課題満載だった)という関係がよかったと思う。 |